市販にしろオンラインソフトにしろ
味方キャラやユニット、クラスや特殊技能などのなかには
他と比較して明らかに強く(もしくは弱く)設定されているものがある。
そんな時はしばしば熱心なファンの間でバランス改善の為の議論が行われる。

もちろん好きなゲームについて議論するのは少なくとも本人達に
とって非常に有意義な事であるしそれをどうこう言うつもりはないが
そうやって平均化した後のバランスの方が適切であるかというと
そうとも言い切れない。

性能がどれも似通っていては選び辛くなる。
意思選択のプロセスが複雑化するのは歓迎すべき事のようにも思えるが
あまり選び辛くなると「どっちでもいい」ということになってしまう。

ゲーム中には無数の意思選択があるわけだからそのうち少しぐらいは
明らかにこっち、というものがあってもいいのではないだろうか。

説明不足

2004年11月28日 コラム
過ぎたるは及ばざるが如しとはよく言ったもので
説明過剰よりは説明不足の方がまだマシである。

そもそも余計な説明を入れようとすると手間が掛かる。
イベントの量が少なければ完成までの期間も短縮される。
作り手も面倒、遊び手も面倒なものをどうして苦労して入れようとするのか?

頭では分かっていてもなかなか実践できないのが難しい。
いっそイベントを作っていて面倒だなぁと思ったら
きっとプレイヤーがここのセリフを読み飛ばす時も面倒に思うに
違いない、ということでそのシーンは思い切ってカットしてはどうだろうか。

全部カットで即完成。

>>charさん
あれはちょっと難しくしすぎたかも知れないですね。
難しいというか不親切と言うか…

ドラクエ8は現在制作中のやつが完成してから、と決めてみました。

効果表示

2004年11月25日 コラム
ターン制にしろアクティブタイム制にしろ
行動による効果は事前には分からない場合が多い。

もし効果やヒット率が事前に表示されれば状態異常系の技も
使いやすくなるだろうし属性にも自然と気を使うようになる。
その分、戦略性が広がる。

だがしかしこのシステムがいいことづくめなら
とっくに数多くの市販ゲームが採用しているわけで
ちゃんと大きなデメリットが存在する。

雑魚敵との戦闘などでも効果表示を見てから行動しなければならず
戦闘のテンポを大きく損ねてしまう。戦闘バランスも自然と
効果表示に即したものになるため疲れる。

つまりは諸刃の剣。それでもいいよという方は検討してみはどうだろうか。
私はしないけど。

リアリティとか

2004年11月23日 コラム
面白さと関係ないリアリティは不要だ、とよく言われる。
例えば王都は大きくて賑やかだからといって
広さを300×300にして街の人を100人配置したら
とんでもないものが出来上がった、などだ。極端な例だが。

要するにゲームの中のもの、設定やシステムや世界などを
実物に近づけようとして逆にストレスの原因となってしまうことが
多いから気を付けろということだ。

ではリアリティと面白さは相反するものなのかというと
そうではなくてむしろその関係は正の相関に近い。
ストーリーも設定もリアリティがあるからこそ楽しめるのだと思う。

もちろん限度も大切である。ではどのように折り合いを付けるべきか。
指針のひとつとして関連する専門的な知識のない者がさほど
違和感を感じない程度のリアリティ、というものが挙げられる。

ゲームの内容にもよるので一概には言えないが。

戦闘時間

2004年11月20日 コラム
凝った戦闘システムを採用しようとするとどうしても
1回の戦闘に時間が掛かってしまう。

そのゲームの価値の大半を戦闘に費やすのでなければ
雑魚敵で30秒、ボスで5分といったところだろうか。

いかに戦略的なシステムにするかを考えるのも面白いが
戦略性を失うことなくいかに短い時間で戦闘を終わらせるかに
重点を置いてみるのも悪くないかも知れない。
戦闘における作業感はレベルアップを楽しく演出することで
ある程度は回避できるのではないだろうか。

やはりレベルアップと表示されるだけでは寂しい。
場合によってはレベルが上がった事にすら気付かれない。
効果音を使ったり能力値の上昇量を表示したりと色々考えられる。

やっぱり鬱陶しいだけだろうか…

能力の差

2004年11月11日 コラム
ほとんどのRPGに見られる現象のひとつに

敵 :HPが高く、攻撃が低い
味方:HPが低く、攻撃が高い

というものがある。
敵と味方のステータスを似通ったものにしてしまえば
短期決戦になり過ぎるからだ。
これは対人戦、特にかつての仲間or後に仲間になる人物との
戦いにおいてその違和感が表面化する。

敵と味方の体力の基準が違う(敵のHP100と味方のHP100は違う)
などと解釈を付けたりシステムをシミュレーションRPG化したり
そもそもゲームなんだから気にする必要なし
ということでもいいし実際それが正しいやり方である。

しかし、いつか敵と味方の能力値がほぼ同じ状態で戦えて、
なおかつゲームとして充分なバランスも保ったシステムを
考えてみたい。

考えるだけでいいや。

>>くろさん
そうです、これみたいです。
いつかヤフーのニュースで変換ミスコンテストを報じていて
エントリーされた作品の一部として
「正解はお金です」→「政界はお金です」
が紹介されてました。
やっぱり誤変換もそうでないものも意味が通るやつの方が面白いですね。

あとHNの件ですが私はこれまで通り「くろさん」と
呼ばせていただきます。

情報について

2004年11月10日 コラム
敵との戦闘中に表示される情報は年々、増えつつあるようだ。
以前は敵の名前とグラフィックだけだったのが今では
大抵のゲームはたとえボスであっても弱点属性やHPやMPなどが
比較的容易に分かるようになっている。

従来では隠していた戦局関連の情報を表示することで
プレイヤーはその情報をもとに戦略を練ることできる。
例えば敵のHPが常時表示されていれば誰を、どの技で狙うべきかを
非常時の時より戦略的に考える事ができる、といった感じ。

しかし情報開示は対戦相手に対する恐怖心の喪失という弊害もある。
前の例の場合、敵のHPを不明にすると
どこまでダメージを与えれば倒せるのかが分からなくなる。

FFタクティクスのルカヴィ戦などがいい例で
あえて敵のHPを???にすることでプレイヤーの恐怖心を煽っている
と思われる。

地図について

2004年11月7日 コラム
11月7日はアリコの日。これはゆずれない。
オレオレ詐欺紛いのCMが印象的。

…………

個人的にゼルダの伝説におけるダンジョン攻略の面白さの
4割は地図によって成り立っていると思う。
地図が常に表示されているからこそプレイヤーは
合理的にダンジョンの攻略を進めることができるわけだ。

そもそもRPGの中には「戦闘」よりむしろ「探索」を
主軸としたものが少なくなく個人的には後者のほうが好み。

後者の場合、戦闘は宝箱などと同じく探索を
盛り上げるサブシステムのようなもの。そして地図も同様である。

ワールドマップシステムの実装に挑戦した2000作品は
あったと聞く(実物を見たことはない)がダンジョンの地図システムを
実装した作品は見たことも聞いたこともない。
(2000のハンドブックにあるゲームの1つに一応はあるが)
このような使い方は邪道というか、本来の使い方から逸脱している
のだがセリフ中に二字(もしくはそれ以上)熟語が2つ以上重なっている
場合は熟語間に読点を打って文章を読みやすくする事が個人的によくある。

小説ならともかくゲームにおける台詞作りの規則なんて
特にないだろうし。

そう言えば本来なら小説の場合は(というか本来の日本語は)語尾に
「?」や「!」は付けないらしい。
らしいもなにもこれらは英語の語尾に付くものなので当り前だが。
マップを作ろうと考えた際にその対称性について
悩む事は少なくないだろう。

自然に出来たダンジョン、具体的に言えば洞窟や森の場合
ストーリー上の特殊な事情がない限り対称にはなり得ない。

では建造物などの人工物の場合はどうだろうか。
対称性のある建造物から伝わってくるものは主に権力だろう。
特に測量技術が未発達だった昔は巨大で、しかも対称性を有する
秩序だった建造物を造るのは容易ではなかったはずだ。
つまりそれをやり遂げるということがその者の持つ権力の証明となる。

ツクールで城を作る際も対称性を有する城は象徴的意味合いが強く
その国が平和で豊かであるような印象を与え
機能を重視した城は敵対勢力から身を守る砦の意味合いが強く
その国が戦乱の只中にあるような印象を与える。

気のせい率95%

世界の大きさ

2004年10月27日 コラム
ゲームの舞台となる世界の大きさは現実の世界(つまり地球)
と比べてどうなのだろうか。

ドラクエの場合は夜と昼の概念のある(そうでないものもあるが)
のでそれにより大きさを推測できる。

それは角速度が地球と同じ場合に限るとか、そもそもドラクエの
世界は球状じゃないとかそういうツッコミは棚に上げるとして
おそらく地球より遥かに小さいであろうことが予測できる。
こんなことはドラクエ3のジパングを見れば一目瞭然なのだが。

また、最近のRPGのフィールド上にある街は実際の街マップを
忠実に再現したミニチュアである場合が少なくないので
その場合は縮尺により世界の大きさを判断可能だ。
この場合もほとんどは地球より遥かに小さい。

激しくどうでもいい話。

矛盾について

2004年10月26日 コラム
ストーリー制作中に内容に含まれる矛盾に気付いてしまう事が多々ある。
それが原因で結局、未完成のまま終わる事も少なくないし
私にもそんな経験があるのだがちょっともったいなかったかな、と思う。

ゲームのストーリーの場合、たとえプロが制作した市販のものでも
クリア後にストーリー全体を見たときに矛盾が生じてしまうのは
よくあることだ。それよりも市販では場面、場面を盛り上げる事に
重点が置かれているように思う。

さらに制作者は当然ストーリーの全容を予め知っているわけだが
プレーヤーは知る由も無い。たとえそのゲームをクリアしても
問題の矛盾に気付くとは限らない。
無論、内容にもよるが気付かないプレイヤーが大多数だろう。

市販ゲームのヘビーユーザーなどはそのゲームのストーリーを
余す所なく解析して、矛盾点などを指摘したりもするが
それをフリーのしかもツクール製のゲームに対して行う者は
まずいない。

また矛盾点を見付けるとそれをうまく説明できる設定を
考えようとするのだが、その際に名案だ、と思った設定が
かなり後になって妙に思えてくるのもよくあることだ。

矛盾は放置しろ、とまでは言わないが
それほど気を配る必要はないのではないだろうか。

王道について

2004年10月22日 コラム
保守状態のまま日記を書くのを忘れてた…

それはそうとゲームに限らず小説でも映画でも
権威を持つ人はわりと悪く描かれることが多いように思われる。
その手のお話は分かりやすいし比較的支持されやすい。
権威を持つ人よりも持たない人の方が圧倒的に多いからだ。

分かりやすく、支持されやすく、作りやすい。
つまり王道である。

なんとなく王道と聞くと避けた方がよい、というような風潮が
あるようだ。王道は作りやすいが故に蔓延しやすいからだろう。
王道=ありがち、ではなく王道=作りやすい、故にありがちである。
ということだ。

確かに王道は蔓延している。しかし、たとえそうだとしても王道が
作りやすく支持されやすいことに変わりはない。
王道をあえて避けて通るにはそれなりの覚悟と自信が必要だと思う。

>>charさん
誕生日、おめでとうございます。

乗り物

2004年10月18日 コラム
市販RPGに乗り物ってあるじゃないですか。
海を越えたり空を飛んだり宇宙へ行ったり時間を越えたり
地底に行ったり海底に行ったり。

システム上はパーティの行動範囲を広げる=壁を取り払う手段として
使われるわけですがこの乗り物がストーリーとうまく絡んでくると
とても盛り上がると思います。

逆に言えば乗り物がただ単に、行動範囲を広げるだけでシナリオ本筋
とは何のかかわりもない道具のような存在だとがっかりです。

車や電車などの現実世界での乗り物もそうですね。
いわゆるマニアと呼ばれるような人々以外でも
これらから単なる移動手段に留まらない"何か"を感じることが
多少なりとも出来るのではないでしょうか。

うまく言えませんが…

そうだロマンだ。そうに違いない。

戦闘について

2004年10月17日 コラム
普通はゲームにおける敵との戦闘は楽しい。
だから戦略性とか爽快感とかを追求するわけである。

しかしまったく逆で敵との戦闘が怖い、エンカウントが恐ろしい
そんなゲームもある。

戦闘の楽しいゲームの場合、ボス戦は盛り上がるが難度の低い雑魚敵
との戦闘はあまり楽しくなく作業と化してしまうこともある。
この場合、長いだけのダンジョンがあると地獄である。

戦闘が怖いゲームの場合、長いだけのダンジョン(とてつもなく
長すぎるのも考えものだが)でもそれほど問題はない。
というか長いダンジョンは必要不可欠である。

戦闘が怖いゲーム、最近はあまりみかけない。
はやりじゃないということだろうか。

制作環境

2004年10月14日 コラム
制作環境は結構重要だと思う。
マシンのスペックはもちろんのこと、解像度なんかも
私のPCは1024×768だがもう一回り大きければ(1280×1024とか)
かなり制作しやすくなると思われる。

その他にもマウスが使いやすいかどうかとか
PCの置いてある部屋が冷暖房完備かどうかなど
自分が快適な環境下で制作できているかで効率は
大きく違ってくるのでちょっと見直してみてはどうだろうか。

エアコンやPCの買い替えなどはかなりお金が掛かってしまうのだが…

まず第一に

2004年10月12日 コラム
先日、Wordで文章を書いていたとき
「まず第一に」と入力したら緑色の波線が出てきた。

意味が重複しているそうだ。

言われてみれば重複しているのが明らかだ。
(本当は言われなくても明らか)

ツクールだとそんなことを忠告してくれるはずもなく
ちょっと不安になった。

言葉の意味など移りゆくものであるし文法が絶対とは言えないが
やはり一般公開する以上はより多くの人が納得する
表現を使うにこした事はない。

なんだか後半部分が大げさになってしまった…

>>あぜさん
突然、消えた時は驚きましたが
復活おめでとうございます。
これからもよろしくお願いします。

因果応報

2004年10月5日 コラム
ストーリーが勧善懲悪であるかどうかは好みの問題だか
たとえ勧善懲悪でないストーリーでも因果応報であることは
重要なことだと思う。
(これも好みの問題と言ってしまえばそれまでだが)

特に鬱エンドでよくあるパターンだがエンディングが
因果応報でないとどうもしっくりこないというか不満が残る。

>>くろさん
トラブルがあったようですね…
お疲れ様です。

確率

2004年10月2日 コラム
正解の数字が判明していてそれをサイコロを使って
その数字を出す場合と(イカサマはないものとする)
正解の数字が判明しておらずそれを人間が当てる場合とでは
結果的に正答率が同じ(試行を無限に繰り返して収束する値が同じ)
でもその実体は異なる。(同じようなことを前の日記にも書いたのだが)

前者の場合、サイコロは投げた者から受けた力、風の力、床と衝突した
際に受けた力、などに数多くの力に左右されて出る目が決まる。

サイコロに加えられた力のすべてが全く同じものである限り
(現実的にそんなことはありえないが)
何度試行を繰り返してもサイコロの出る目は毎回同じである。
それを理由に確率の存在そのものを否定する者もいる。

後者の場合、決定するのは人間の意思である。
正解の数を当てようとする意思で以って数字を決定する
プロセスは前者とは全く異なるものである。

後者が前者ともっとも違う点は試行を繰り返した際に
以前の試行が何らかの形で影響してくる点だ。
多くの場合は試行を限りなく繰り返した際に収束する値に
無意識的に近づけようとする。

さて、コンピュータが発生させる乱数は前者、後者どちらだろうか。
もちろん前者である。AIとは本来、意思のないコンピュータに
あたかも意思があるかのように偽る技術である。

SFに出てくるようなロボットは意思を持っているようだが
もし意思をもつコンピュータが将来、出現したとしたらそれは
現在のコンピュータの延長線上にあるものではない。

つまり意思のないコンピュータは後者の方法で乱数を発生させる
ことはできないということだ。前者の方法において力にあたるもの
つまり結果を決める要因を別の場所からとってくる(例えば現在の時間など)
ことで乱数を生み出している。

自作戦闘などでは乱数を多用するだろうがいざテストプレーしてみると
なかなか思ったようにいかない。
確率通りにいかない確率というのは思ったよりも高いのだ。

>>くろさん
スクショ拝見しました。
以前のものより敵味方のパラメータ表示がうまくまとまって
すっきりした感じですね。

< 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

 

最新の日記 一覧

<<  2025年7月  >>
293012345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829303112

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索