冒険に主体を置いたRPGなら個性や特色ある街づくりは重要な要素になる。
個性付けはキャラクターの場合と同じで意識的に行わないと
街が単なる補給拠点になりがちだ。
これは既存の素材やフリー素材を用いることが少なくない
ツクールの場合に特に陥りやすい。
まず思いつくのが気候や風土を利用する方法だ。
例えば砂漠の街、雪原の街などといった感じで作っていけば
それだけで5、6個くらいは街を作ることができる。
しかしそれだけに頼るのは物足りないし数が限定される。
仮に砂漠の街を二つ作ることになったとしたも他の要素で
両者の差別化が十分に行えるくらいの個性付けが必要だろう。
市販ゲームの傾向を見てみると街にシンボル的な何かを
付与することが多いようだ。これならストーリーに絡めることも
できるしネタにも事欠かない。
個性付けはキャラクターの場合と同じで意識的に行わないと
街が単なる補給拠点になりがちだ。
これは既存の素材やフリー素材を用いることが少なくない
ツクールの場合に特に陥りやすい。
まず思いつくのが気候や風土を利用する方法だ。
例えば砂漠の街、雪原の街などといった感じで作っていけば
それだけで5、6個くらいは街を作ることができる。
しかしそれだけに頼るのは物足りないし数が限定される。
仮に砂漠の街を二つ作ることになったとしたも他の要素で
両者の差別化が十分に行えるくらいの個性付けが必要だろう。
市販ゲームの傾向を見てみると街にシンボル的な何かを
付与することが多いようだ。これならストーリーに絡めることも
できるしネタにも事欠かない。
ここでいう文語や口語は書き言葉や話し言葉のことだ。
普段、他人と話すときに使う言葉をそのまま忠実に
文字にすると砕けすぎていて読みにくいし
逆に文章中に用いるような表現や熟語をそのまま会話中に
用いるのは少々、不自然だ。
文語は吟味された文字の羅列であり、口語は刹那的に発せられた言葉の羅列だ。
登場人物の会話シーンなども小説の場合は文語でも差し支えないが
より視覚的に場面が再現されたゲームの場合、登場人物が吟味され
文法的に見ても正しい台詞を常に発するのは不気味である。
とは言っても刹那的に発せられた口語を意図的に作り出すには
場面を盛り上げるために最適な台詞を吟味しつつも、
出来上がったものは登場人物がとっさに口にした台詞として
違和感のないものに仕上げなければならないわけで
なかなか難しい問題だ。
普段、他人と話すときに使う言葉をそのまま忠実に
文字にすると砕けすぎていて読みにくいし
逆に文章中に用いるような表現や熟語をそのまま会話中に
用いるのは少々、不自然だ。
文語は吟味された文字の羅列であり、口語は刹那的に発せられた言葉の羅列だ。
登場人物の会話シーンなども小説の場合は文語でも差し支えないが
より視覚的に場面が再現されたゲームの場合、登場人物が吟味され
文法的に見ても正しい台詞を常に発するのは不気味である。
とは言っても刹那的に発せられた口語を意図的に作り出すには
場面を盛り上げるために最適な台詞を吟味しつつも、
出来上がったものは登場人物がとっさに口にした台詞として
違和感のないものに仕上げなければならないわけで
なかなか難しい問題だ。
戦闘バランスの調整をする際、戦闘計算式(命中率やダメージなどを
算出する式の総称)を意識する場合は逆算による絶対的なパラメータ設定が可能だ。
もちろん、全ての敵を絶対的な手法で設定する必要はなく
ひとつを設定すればあとはその設定値を用いて相対的に設定すればいい。
逆に意識しない場合は最初の1体をまず感覚で設定して
戦闘テストによる試行錯誤を重ねた上で設定する。
そして残りは前の方法と同じく相対的に設定する。
どちらがいいかは好み次第だろう。
算出する式の総称)を意識する場合は逆算による絶対的なパラメータ設定が可能だ。
もちろん、全ての敵を絶対的な手法で設定する必要はなく
ひとつを設定すればあとはその設定値を用いて相対的に設定すればいい。
逆に意識しない場合は最初の1体をまず感覚で設定して
戦闘テストによる試行錯誤を重ねた上で設定する。
そして残りは前の方法と同じく相対的に設定する。
どちらがいいかは好み次第だろう。
表に対するグラフのアドバンテージは言うまでもなくその視覚性だ。
全体に対する割合や同種のパラメータとの比較検討や推移などが
グラフを用いて可視化することで容易に分かるようになっている。
ゲーム中のメニュー画面等でも単に数値を用いるだけでなく
ゲージを初めとした様々な趣向を凝らしたグラフが用いられている。
創作性があるというのもグラフの特徴だ。ゲーム中の世界観と
上手にマッチさせることも出来るし利便性を過度に損ねない
程度の飾り付けで雰囲気作りも可能だ。
だがゲームの場合、グラフにはパラメータのぼかしという
もう一つの側面を持っている。ゲーム以外ではグラフは数値のような
デジタル表記と併用されるがあえてその数値表示を削除している
ケースがゲームの場合、頻繁に見られる。
こうなるとプレイヤーは表示されたパラメータを目安でしか
推し量ることが出来なくなる。冒頭において挙げた
視覚性を利用した利便性の追求と真っ向から対立するものだ。
理由のひとつにはプレイヤーのそのゲームに対する経験の違いを
より顕著にする、というのが考えられる。
数値で表示されていれば経験のないプレイヤーも豊富なプレイヤーも
受け取る情報は同じであるが、数値がなければ経験のあるプレイヤー
ほど正しい数値を推し量れるようになる。
ゲーム中でのプレイヤー自身の成長を実感させる仕掛けのひとつだ。
全体に対する割合や同種のパラメータとの比較検討や推移などが
グラフを用いて可視化することで容易に分かるようになっている。
ゲーム中のメニュー画面等でも単に数値を用いるだけでなく
ゲージを初めとした様々な趣向を凝らしたグラフが用いられている。
創作性があるというのもグラフの特徴だ。ゲーム中の世界観と
上手にマッチさせることも出来るし利便性を過度に損ねない
程度の飾り付けで雰囲気作りも可能だ。
だがゲームの場合、グラフにはパラメータのぼかしという
もう一つの側面を持っている。ゲーム以外ではグラフは数値のような
デジタル表記と併用されるがあえてその数値表示を削除している
ケースがゲームの場合、頻繁に見られる。
こうなるとプレイヤーは表示されたパラメータを目安でしか
推し量ることが出来なくなる。冒頭において挙げた
視覚性を利用した利便性の追求と真っ向から対立するものだ。
理由のひとつにはプレイヤーのそのゲームに対する経験の違いを
より顕著にする、というのが考えられる。
数値で表示されていれば経験のないプレイヤーも豊富なプレイヤーも
受け取る情報は同じであるが、数値がなければ経験のあるプレイヤー
ほど正しい数値を推し量れるようになる。
ゲーム中でのプレイヤー自身の成長を実感させる仕掛けのひとつだ。
敵の弱点や体力などの戦闘関連情報は
公開するものと隠蔽するものとに分けられる。
例えば弱点の場合は隠蔽されていてプレイヤーが
それを探すことに重点が置かれているものや
最初から公開されていて積極的な戦略的利用を推進するものがある。
ここで公開されている情報なのだが全くの嘘である情報という
第三のパターンを加えてみるのはどうだろうか。
本来なら敵の弱点は公開済みなのだが、特定の敵と戦う時は
それが偽って表示されている、などだ。
当面の問題としてバグと間違われる可能性が高い点が挙げられる。
その辺りは演出でカバーする必要がありそうだ。
公開するものと隠蔽するものとに分けられる。
例えば弱点の場合は隠蔽されていてプレイヤーが
それを探すことに重点が置かれているものや
最初から公開されていて積極的な戦略的利用を推進するものがある。
ここで公開されている情報なのだが全くの嘘である情報という
第三のパターンを加えてみるのはどうだろうか。
本来なら敵の弱点は公開済みなのだが、特定の敵と戦う時は
それが偽って表示されている、などだ。
当面の問題としてバグと間違われる可能性が高い点が挙げられる。
その辺りは演出でカバーする必要がありそうだ。
中学、高校生程度になると時間的にも金銭的にも余裕が出てくる。
そうなると金銭面における制約のないフリーゲームだけでなく
市販ゲームも大量に好きなだけプレーすることが可能になる。
だからある程度のゲーム好きなら今プレーしているゲームを
クリアした後にプレー予定のゲームが既に決まっていたりもするのだが
そういった状況は果たして恵まれていると言えるだろうか。
予定が詰まっている場合、ゲームオーバーや理不尽さに対する許容度が低くなる。
小さい頃にプレーしたゲームを久々にやってみたらその難しさに
驚いたという話を聞くが、当時はそのソフト以外にやるものが
なかったとしたらどれだけ難しくても挑戦し続けるだろう。
最近のゲームはおもしろくない、と主張する人は少なくない。
そのような意見を持つに至った経緯は多種多様だろう。
その原因のひとつとして目の前にゲームが溢れすぎている、
という点が挙げられるのではないだろうか。
目の前にゲームが溢れている、という状況は本来なら恵まれている。
数多くのゲームの中から自分の嗜好に合うものを厳選できるからだ。
しかしそのような状況下では厳選するより先に手当たり次第、
どんどん消化していった方がたくさんプレーできる。
この飽和状態に最近のゲームが面白くない理由の一端が
あるように思うのだがどうだろうか。
そうなると金銭面における制約のないフリーゲームだけでなく
市販ゲームも大量に好きなだけプレーすることが可能になる。
だからある程度のゲーム好きなら今プレーしているゲームを
クリアした後にプレー予定のゲームが既に決まっていたりもするのだが
そういった状況は果たして恵まれていると言えるだろうか。
予定が詰まっている場合、ゲームオーバーや理不尽さに対する許容度が低くなる。
小さい頃にプレーしたゲームを久々にやってみたらその難しさに
驚いたという話を聞くが、当時はそのソフト以外にやるものが
なかったとしたらどれだけ難しくても挑戦し続けるだろう。
最近のゲームはおもしろくない、と主張する人は少なくない。
そのような意見を持つに至った経緯は多種多様だろう。
その原因のひとつとして目の前にゲームが溢れすぎている、
という点が挙げられるのではないだろうか。
目の前にゲームが溢れている、という状況は本来なら恵まれている。
数多くのゲームの中から自分の嗜好に合うものを厳選できるからだ。
しかしそのような状況下では厳選するより先に手当たり次第、
どんどん消化していった方がたくさんプレーできる。
この飽和状態に最近のゲームが面白くない理由の一端が
あるように思うのだがどうだろうか。
いわゆるフーダニットと呼ばれるカテゴリに分類される
ミステリが稀に用いる手法の中に読み手の感情移入を利用するやり方がある。
つまり、読み手が最も犯人であって欲しくないと感情的に考える
であろう人物を犯人にする。言い換えれば犯人に対して読み手が
そのような感情を抱くように意識的に文章を操作するやり方だ。
もちろん、このような小細工とも取れる手法を表立ってやる場合はほとんどない。
あくまでも読み手の心をかき乱す補助的な役割だ。
ゲームの場合も同様で、登場人物に対するプレイヤーの感情移入を
利用しない手はない。というより前述の例と同じく最初から目的
ありきで展開を持っていくものだとも言える。
一般的で時に安易とも言われる展開のもっていき方は言うまでもない。
ミステリが稀に用いる手法の中に読み手の感情移入を利用するやり方がある。
つまり、読み手が最も犯人であって欲しくないと感情的に考える
であろう人物を犯人にする。言い換えれば犯人に対して読み手が
そのような感情を抱くように意識的に文章を操作するやり方だ。
もちろん、このような小細工とも取れる手法を表立ってやる場合はほとんどない。
あくまでも読み手の心をかき乱す補助的な役割だ。
ゲームの場合も同様で、登場人物に対するプレイヤーの感情移入を
利用しない手はない。というより前述の例と同じく最初から目的
ありきで展開を持っていくものだとも言える。
一般的で時に安易とも言われる展開のもっていき方は言うまでもない。
実際にゲームをやり込んだ人から見れば攻略本の情報は
不完全であるばかりでなく時として当を得ていない。
無理もない話だ。攻略本は出版のタイミングが非常に重要である。
既に旬の過ぎたゲームの攻略本を出しても今更感が漂うだけだ。
さらにスピード重視のせいか誤植や誤変換等のミスも多い。
これを非難する人もいるかも知れないが別にこの手のミスが
攻略本の実用性を損ねているわけではない。
このように攻略本の情報が不完全なのはおそらくはよんどころない事情に
よるものだろうがそれは結果として救いになっているという一面もある。
攻略本はクリアするには十分な情報量だがより突っ込んでゲームを
楽しもうとする際には隠しパラメータを意識しなければならない場合が多い。
攻略本はパラメータの存在を明らかにする事は多いが増減を初めとした
法則まで明かしているケースはそれほど多くはない。
攻略サイトやまとめサイトの場合はそういう法則も
明かしているし、その他のあらゆる情報が非常に早くて正確だ。
もちろんこれらを非難するつもりはないし個人の力でどうこう
出来る問題ではない。
ただ、本来なら知らない方が楽しめた(あるいは自分でその存在や
法則に気付いた方が楽しめた)情報まで知ってしまう可能性が
高いわけだから利用する際は攻略本以上に注意が必要だ。
不完全であるばかりでなく時として当を得ていない。
無理もない話だ。攻略本は出版のタイミングが非常に重要である。
既に旬の過ぎたゲームの攻略本を出しても今更感が漂うだけだ。
さらにスピード重視のせいか誤植や誤変換等のミスも多い。
これを非難する人もいるかも知れないが別にこの手のミスが
攻略本の実用性を損ねているわけではない。
このように攻略本の情報が不完全なのはおそらくはよんどころない事情に
よるものだろうがそれは結果として救いになっているという一面もある。
攻略本はクリアするには十分な情報量だがより突っ込んでゲームを
楽しもうとする際には隠しパラメータを意識しなければならない場合が多い。
攻略本はパラメータの存在を明らかにする事は多いが増減を初めとした
法則まで明かしているケースはそれほど多くはない。
攻略サイトやまとめサイトの場合はそういう法則も
明かしているし、その他のあらゆる情報が非常に早くて正確だ。
もちろんこれらを非難するつもりはないし個人の力でどうこう
出来る問題ではない。
ただ、本来なら知らない方が楽しめた(あるいは自分でその存在や
法則に気付いた方が楽しめた)情報まで知ってしまう可能性が
高いわけだから利用する際は攻略本以上に注意が必要だ。
我々素人がコンテンツを評価する際は相対評価が基本だ。
つまり自分の脳内データベースから類似作品あるいは類似部分を
検索して比較することで初めて評価が出来る。
だからデータベースが貧弱なうちは上手に評価が出来ない。
特に批判的な評価は難しいだろう。より良いコンテンツに実際に
触れて初めて、悪いものの批判が可能になる。
自分が幼少の頃に触れたコンテンツに対して評価が甘いのは
いたずらに過去を美化しているからだ、と言われがちだが
実際はそういった側面もあるのではないだろうか。
となるとそのあたりに斬新性の意義を見出せそうだ。
受け手のデータベースにおいて貧弱な部分、あるいはほとんど存在しない部分を
突けば受け手は批判的評価がしにくくなる。
つまり自分の脳内データベースから類似作品あるいは類似部分を
検索して比較することで初めて評価が出来る。
だからデータベースが貧弱なうちは上手に評価が出来ない。
特に批判的な評価は難しいだろう。より良いコンテンツに実際に
触れて初めて、悪いものの批判が可能になる。
自分が幼少の頃に触れたコンテンツに対して評価が甘いのは
いたずらに過去を美化しているからだ、と言われがちだが
実際はそういった側面もあるのではないだろうか。
となるとそのあたりに斬新性の意義を見出せそうだ。
受け手のデータベースにおいて貧弱な部分、あるいはほとんど存在しない部分を
突けば受け手は批判的評価がしにくくなる。
環状線の構造をしているダンジョンは代表的な迷いやすいダンジョンのひとつだ。
つまりダンジョン内に分岐があるのだがどちらへ進んでも
結局は同じ場所へたどり着く構造のことだ。
こういう構造をしていると普通に進んでいるつもりなのに
もとの場所に戻ったりするので進路が分かり辛くなる。
ひとつの輪だけでなら問題ないだろうが複数の輪を組み合わせると
かなり複雑な迷路が出来上がる。
ダンジョンで長時間プレイヤーを迷わせることはストレスの要因にも
なるのでほどほどにする必要があるが小さなサイズのマップで
複雑な構造が実現できるという利点もある。
つまりダンジョン内に分岐があるのだがどちらへ進んでも
結局は同じ場所へたどり着く構造のことだ。
こういう構造をしていると普通に進んでいるつもりなのに
もとの場所に戻ったりするので進路が分かり辛くなる。
ひとつの輪だけでなら問題ないだろうが複数の輪を組み合わせると
かなり複雑な迷路が出来上がる。
ダンジョンで長時間プレイヤーを迷わせることはストレスの要因にも
なるのでほどほどにする必要があるが小さなサイズのマップで
複雑な構造が実現できるという利点もある。
完全にドラクエの話になるが、立て札を後ろから調べると
こちら側からでは立て札を読めないという旨のメッセージが
表示されて内容を知ることは出来ない。
だが同じようなイベントでも宝箱は後ろ側からでも開けることが出来る。
普通は宝箱を後ろ側から開けることは出来ないはずなので
ここで立て札と同様の反応があってもおかしくはないはずだ。
となるとここにリアリティと利便性のどちらを取るかの
境界線が両者の間に引かれていると考えることが出来る。
宝箱に比べて立て札はゲームを通して調べる回数が少ない。
しかも得るものも宝箱と比べて少なく、立て札の場合は情報だけだ。
市販ゲームを見てみると、このように共通点を持つもの同士の間に
見えない境界線が引かれていることが少なくない。
こちら側からでは立て札を読めないという旨のメッセージが
表示されて内容を知ることは出来ない。
だが同じようなイベントでも宝箱は後ろ側からでも開けることが出来る。
普通は宝箱を後ろ側から開けることは出来ないはずなので
ここで立て札と同様の反応があってもおかしくはないはずだ。
となるとここにリアリティと利便性のどちらを取るかの
境界線が両者の間に引かれていると考えることが出来る。
宝箱に比べて立て札はゲームを通して調べる回数が少ない。
しかも得るものも宝箱と比べて少なく、立て札の場合は情報だけだ。
市販ゲームを見てみると、このように共通点を持つもの同士の間に
見えない境界線が引かれていることが少なくない。
RPGを制作するには街の名前や人の名前などの膨大な量の固有名詞が必要になる。
ランダムネーム生成ソフトを使用するのも手段のひとつだが
語感のよさという点では既存の固有名詞にはなかなかかなわない。
そこで既存の名前を改造して使用するという方法がある。
具体的には既存の名前の中から1文字を選んで
行か列のどちらかをずらすというやり方だ。
これならほとんど語感を損ねずにある程度の
オリジナリティを確保できる。
ランダムネーム生成ソフトを使用するのも手段のひとつだが
語感のよさという点では既存の固有名詞にはなかなかかなわない。
そこで既存の名前を改造して使用するという方法がある。
具体的には既存の名前の中から1文字を選んで
行か列のどちらかをずらすというやり方だ。
これならほとんど語感を損ねずにある程度の
オリジナリティを確保できる。
公開前に予め制作したゲームに対する感想を思いつくだけ
想定してみるというのもいい方法ではないだろうか。
もちろん漠然とした予想はするだろうが、そうではなくて
肯定的なものも否定的なものも含めてきちんと記憶しておけば
実際に感想をもらったときにそれが想定内のものか、そうでないか
がはっきりする。
もし想定外の感想ならばそれはかなり貴重なものだ。
作者なら利点も欠点も両方把握しているはずなので大半の感想は予想できる。
もしそれが想定外ならそれは作者にとって
盲点にほかならない。
想定してみるというのもいい方法ではないだろうか。
もちろん漠然とした予想はするだろうが、そうではなくて
肯定的なものも否定的なものも含めてきちんと記憶しておけば
実際に感想をもらったときにそれが想定内のものか、そうでないか
がはっきりする。
もし想定外の感想ならばそれはかなり貴重なものだ。
作者なら利点も欠点も両方把握しているはずなので大半の感想は予想できる。
もしそれが想定外ならそれは作者にとって
盲点にほかならない。
デファクトスタンダード
2006年3月17日 コラム事実上の業界標準のこと。
本来はゲームに対して使う言葉ではないのかも知れないが
似たような概念は存在する。
例えば、日本においてFF6がヒットしたことで以後のRPGの
3Dワールドマップにおける飛行型の乗り物の操作方法は
ある程度、確立されたと言っていいだろう。
(あるいはそれは既に海外等で確立されておりFF6もそれに
従っただけなのかも知れないが)
どちらにしても大作が操作方法を確立すれば以後も
自然とそれに追随する形になることが多い。
それは予定調和ではなく、プレイヤーに要らぬ混乱を与えない
ようにしようとする制作側の配慮だ。
もし上昇が十字キーの下、下降が十字キーの上が事実上の標準で
あるところで逆の仕様を採用すると混乱するプレイヤーが増える。
もちろん、それはあくまでも事実上の標準であり
標準であると宣言してからなるものではないため
それを掴むのは思ったほど簡単ではない。
本来はゲームに対して使う言葉ではないのかも知れないが
似たような概念は存在する。
例えば、日本においてFF6がヒットしたことで以後のRPGの
3Dワールドマップにおける飛行型の乗り物の操作方法は
ある程度、確立されたと言っていいだろう。
(あるいはそれは既に海外等で確立されておりFF6もそれに
従っただけなのかも知れないが)
どちらにしても大作が操作方法を確立すれば以後も
自然とそれに追随する形になることが多い。
それは予定調和ではなく、プレイヤーに要らぬ混乱を与えない
ようにしようとする制作側の配慮だ。
もし上昇が十字キーの下、下降が十字キーの上が事実上の標準で
あるところで逆の仕様を採用すると混乱するプレイヤーが増える。
もちろん、それはあくまでも事実上の標準であり
標準であると宣言してからなるものではないため
それを掴むのは思ったほど簡単ではない。
他人の家のタンスやツボなどから見付けた物を平気で
自分の所持品に加えてしまうのはいかがなものか。
多くの人が一度はそんな疑問を持つのだろうし
現にCMのネタになったこともあるが、結局はゲームだからという
理由でスルーされている。
確かにゲーム内の事象を現実と照らし合わせると差異が
浮かび上がってくる、という事例を挙げたらキリがないが、
問題は冒頭のシステムがどのような意図をもって、あるいは
どのような必要性に基づいて採用されているのかが謎であるという点だ。
例えば、現実世界と照らし合わせれば民家に勝手に上がりこむこと
も同様に不自然だ。しかしこれには一般人の家の中を描写することで
集落が持つ生活感をプレイヤーに伝えやすくする、などの必要性に基づいている。
だが、民家の所有物を勝手に持ち出す行為にそのような
必要性を見出すことが出来るだろうか。
仮に出来たとしてもこのシステムが大きな弊害を依然として
孕んでいることに変わりはない。
例えば、ゲーム中でこのような行為が許されているがゆえに
現実において窃盗に対する罪悪感が薄れつつある、と主張されたとき、
確かにそれは若干、飛躍した推論ではあるが同時にその可能性を
完全に払拭することも難しくなるのではないだろうか。
こういった弊害を避けて、かつ発見の楽しみ等のメリットを
維持できる代替案はいくらでもある。
自分の所持品に加えてしまうのはいかがなものか。
多くの人が一度はそんな疑問を持つのだろうし
現にCMのネタになったこともあるが、結局はゲームだからという
理由でスルーされている。
確かにゲーム内の事象を現実と照らし合わせると差異が
浮かび上がってくる、という事例を挙げたらキリがないが、
問題は冒頭のシステムがどのような意図をもって、あるいは
どのような必要性に基づいて採用されているのかが謎であるという点だ。
例えば、現実世界と照らし合わせれば民家に勝手に上がりこむこと
も同様に不自然だ。しかしこれには一般人の家の中を描写することで
集落が持つ生活感をプレイヤーに伝えやすくする、などの必要性に基づいている。
だが、民家の所有物を勝手に持ち出す行為にそのような
必要性を見出すことが出来るだろうか。
仮に出来たとしてもこのシステムが大きな弊害を依然として
孕んでいることに変わりはない。
例えば、ゲーム中でこのような行為が許されているがゆえに
現実において窃盗に対する罪悪感が薄れつつある、と主張されたとき、
確かにそれは若干、飛躍した推論ではあるが同時にその可能性を
完全に払拭することも難しくなるのではないだろうか。
こういった弊害を避けて、かつ発見の楽しみ等のメリットを
維持できる代替案はいくらでもある。
近頃はあまり聞かないが魔法や特殊技の名前にドイツ語を
用いるという例は少なくない。
呪文の神秘性は理解できないものに対する神秘性だ。
例えば呪文が日本語で形成されることはまずあり得ない。
言語学者でもなければ日常的に接する、つまり理解している
と本人が感じている言語に対して神秘性を感じることは難しいだろう。
英語はどうだろうか。
今はどうだか知らないが私のときは英語教育は中学からだった。
もちろん、使いこなすのは難しいが中学3年にもなれば
十分に身近な言語として感じられるようになる。
英語が身近になれば英語に対して持つ神秘性は薄れる。
そこで彼らが英語に代わるものを探した結果がドイツ語なのでは
ないだろうか。
呪文の神秘性を重視するという観点からみると、
実在する言語を用いることは本来、得策とは言えない。
だが、センスある呪文を創造することは容易ではないため
実在する言語の中から作者の視点から見て神秘的であるものが
選択される。
用いるという例は少なくない。
呪文の神秘性は理解できないものに対する神秘性だ。
例えば呪文が日本語で形成されることはまずあり得ない。
言語学者でもなければ日常的に接する、つまり理解している
と本人が感じている言語に対して神秘性を感じることは難しいだろう。
英語はどうだろうか。
今はどうだか知らないが私のときは英語教育は中学からだった。
もちろん、使いこなすのは難しいが中学3年にもなれば
十分に身近な言語として感じられるようになる。
英語が身近になれば英語に対して持つ神秘性は薄れる。
そこで彼らが英語に代わるものを探した結果がドイツ語なのでは
ないだろうか。
呪文の神秘性を重視するという観点からみると、
実在する言語を用いることは本来、得策とは言えない。
だが、センスある呪文を創造することは容易ではないため
実在する言語の中から作者の視点から見て神秘的であるものが
選択される。
ゲームには敵と味方がシステム的に同じ条件のもとで戦うことによって
生まれるある種の「燃え」のような存在があるのでは、
といった趣旨の仮説をある場所で耳にした。
とは言え、対人戦を含むゲームならともかくRPGの場合は
敵と味方との間に完全な公平性を維持することは不可能に近い。
そこで一部の要素に限定したカタチで公平性を保とうとする。
例えば、タクティクスオウガの場合は個々の能力こそ異なるが
戦闘はほとんど10対10で行われる(敵の数は 8 や 9 の場合もあるが)。
もちろんSFCなため、容量の都合あるいは技術的な要因も多分に
絡んではいるだろうが人数の公平性を保ったことが魅力の一因に
なったと私は考えている。
オーソドックスなRPGの場合、公平性の維持はさらに困難になる。
攻撃回数においても味方の方が手数が多いことがほとんどだし
ダメージやパラメータの桁を揃えることすら難しい。
同じ名称の魔法でもシステム上の都合で敵が使うものと味方が使うものとで
データベース上では分かれている場合も少なくない。
味方の適用される概念を敵に対しても適用しようとすると
様々な弊害や技術的な壁にぶつかる。
そこでRPGの場合は無理に公平性を維持するよりも見かけ上は
公平性を保っているような演出をしたり、公平性を保っている
ことを示すアピールに重点が置かれることが多いようだ。
インタフェースに着目した場合、敵のものと味方のものを
あえて画一的に取り扱うことで公平性の演出ができる。
生まれるある種の「燃え」のような存在があるのでは、
といった趣旨の仮説をある場所で耳にした。
とは言え、対人戦を含むゲームならともかくRPGの場合は
敵と味方との間に完全な公平性を維持することは不可能に近い。
そこで一部の要素に限定したカタチで公平性を保とうとする。
例えば、タクティクスオウガの場合は個々の能力こそ異なるが
戦闘はほとんど10対10で行われる(敵の数は 8 や 9 の場合もあるが)。
もちろんSFCなため、容量の都合あるいは技術的な要因も多分に
絡んではいるだろうが人数の公平性を保ったことが魅力の一因に
なったと私は考えている。
オーソドックスなRPGの場合、公平性の維持はさらに困難になる。
攻撃回数においても味方の方が手数が多いことがほとんどだし
ダメージやパラメータの桁を揃えることすら難しい。
同じ名称の魔法でもシステム上の都合で敵が使うものと味方が使うものとで
データベース上では分かれている場合も少なくない。
味方の適用される概念を敵に対しても適用しようとすると
様々な弊害や技術的な壁にぶつかる。
そこでRPGの場合は無理に公平性を維持するよりも見かけ上は
公平性を保っているような演出をしたり、公平性を保っている
ことを示すアピールに重点が置かれることが多いようだ。
インタフェースに着目した場合、敵のものと味方のものを
あえて画一的に取り扱うことで公平性の演出ができる。
創作物の登場人物なんて所詮は作者の掌で踊っているに過ぎない。
物語のとどのつまりは作者の望む結末であり見せたい結末だ。
そのために登場人物は作者に台詞を喋らされている。
が、たとえそれが事実であってもそんな無粋なことを考えながら
物語に接しても面白くもなんともないし得るものも得られない。
読み手からすれば作者の存在を否定、あるいは意図的に忘却して
しまうのが合理的だ。
しかしそういった意図的な忘却がかき消されてしまう瞬間がある。
誤字脱字などがそれだ。誤字脱字が原因で文章の意味が
分からなくなり、解読不能になることは滅多にない。
問題は誤字脱字の存在が、物語が単なる作り物に過ぎないことを
強制的に再認識させられることではないだろうか。
だとしたら作者の存在を意識することもそういった事態を
引き起こす要因になりうると考えられる。
ゲーム中によくある作者の部屋なんかはゲームのコンセプトに関する説明や
作者の想定する楽しみ方の提案を直接その場で行うことができる、
というメリットもあるが上記のような弊害も少なからず
存在する可能性がある。
物語のとどのつまりは作者の望む結末であり見せたい結末だ。
そのために登場人物は作者に台詞を喋らされている。
が、たとえそれが事実であってもそんな無粋なことを考えながら
物語に接しても面白くもなんともないし得るものも得られない。
読み手からすれば作者の存在を否定、あるいは意図的に忘却して
しまうのが合理的だ。
しかしそういった意図的な忘却がかき消されてしまう瞬間がある。
誤字脱字などがそれだ。誤字脱字が原因で文章の意味が
分からなくなり、解読不能になることは滅多にない。
問題は誤字脱字の存在が、物語が単なる作り物に過ぎないことを
強制的に再認識させられることではないだろうか。
だとしたら作者の存在を意識することもそういった事態を
引き起こす要因になりうると考えられる。
ゲーム中によくある作者の部屋なんかはゲームのコンセプトに関する説明や
作者の想定する楽しみ方の提案を直接その場で行うことができる、
というメリットもあるが上記のような弊害も少なからず
存在する可能性がある。
表示されるはずの画像が表示されない。よくある話だ。
今日もテストプレーの最中に
「移動ルート強制中に場所移動をしたらプレイヤー画像が消えた」
という問題が発生した。
確認したところ、デフォルトではそのような事態にはならないので
私が追加した部分に問題があるということになった。
RGSSの場合、表示されるべき画像が表示されない理由は
ほとんど Sprite クラスのプロパティによるものだ。
だからバグチェックの際は表示されるべきタイミングで
p を使ってプロパティをチェックするといい。
関連するプロパティとメソッドは
x, y, z, ox, oy, opacity, visible, src_rect, disposed?
bitmap, bitmap.disposed?
の 12 種類だ。zoom_x と zoom_y もそうだがこれの値が
原因になることはあまり多くない。
なおオブジェクト生成時に viewport を指定した場合は
こちらの Z 座標が優先されるという仕様にも注意が必要だ。
ちなみに私の場合はキャラクターの向きを示す
direction に 0 が代入されていたことが原因だった。
キャラクタースプライトは direction の値からsrc_rect.y を
pattern の値から src_rect.x を算出する。
direction が 0 だとsrc_rect.y の値が負になってしまう。
実際の原因は direction だが、これをそのまま探すより
前述の方法で src_rect に問題があることを突き止めた上で
改めて原因を探った方が早いこともある。
今日もテストプレーの最中に
「移動ルート強制中に場所移動をしたらプレイヤー画像が消えた」
という問題が発生した。
確認したところ、デフォルトではそのような事態にはならないので
私が追加した部分に問題があるということになった。
RGSSの場合、表示されるべき画像が表示されない理由は
ほとんど Sprite クラスのプロパティによるものだ。
だからバグチェックの際は表示されるべきタイミングで
p を使ってプロパティをチェックするといい。
関連するプロパティとメソッドは
x, y, z, ox, oy, opacity, visible, src_rect, disposed?
bitmap, bitmap.disposed?
の 12 種類だ。zoom_x と zoom_y もそうだがこれの値が
原因になることはあまり多くない。
なおオブジェクト生成時に viewport を指定した場合は
こちらの Z 座標が優先されるという仕様にも注意が必要だ。
ちなみに私の場合はキャラクターの向きを示す
direction に 0 が代入されていたことが原因だった。
キャラクタースプライトは direction の値からsrc_rect.y を
pattern の値から src_rect.x を算出する。
direction が 0 だとsrc_rect.y の値が負になってしまう。
実際の原因は direction だが、これをそのまま探すより
前述の方法で src_rect に問題があることを突き止めた上で
改めて原因を探った方が早いこともある。
RPGには効率よく物事を進める楽しさ、みたいなものがあると思う。
レベル制を例に考えてみると、
ある場所でレベル上げという作業をすればダンジョンが楽になるが、
そのダンジョンを抜ければもっとも効率よくレベル上げできる
(つまり経験値の入りがいい)場所に到達できる。
しかし、まったくレベル上げをしないとダンジョンで苦戦して
そこで時間を浪費したり場合によってはゲームオーバーになったりする。
そんな状況下の時ある場所で行うレベル上げはどの程度に留めるのが
もっとも効率的か、みたいな話だ。
ゆえに敵から貰える経験値は曲線あるいは直線を描かないことが多く
階段状になっていてある地点まで行くと段階的に上昇する。
RTSも効率の追求を楽しむゲームのひとつだ。
こちらは文字通り時間の存在感が非常に強い。
よって効率性が一定以下になるとゲームオーバーもしくは
相応のペナルティを課せられるのが一般的である。
RPGの場合、効率性が低いのならそれを作業量でカバーする。
効率的な行動を期待されてはいるが強制されてはいない。
レベル制を例に考えてみると、
ある場所でレベル上げという作業をすればダンジョンが楽になるが、
そのダンジョンを抜ければもっとも効率よくレベル上げできる
(つまり経験値の入りがいい)場所に到達できる。
しかし、まったくレベル上げをしないとダンジョンで苦戦して
そこで時間を浪費したり場合によってはゲームオーバーになったりする。
そんな状況下の時ある場所で行うレベル上げはどの程度に留めるのが
もっとも効率的か、みたいな話だ。
ゆえに敵から貰える経験値は曲線あるいは直線を描かないことが多く
階段状になっていてある地点まで行くと段階的に上昇する。
RTSも効率の追求を楽しむゲームのひとつだ。
こちらは文字通り時間の存在感が非常に強い。
よって効率性が一定以下になるとゲームオーバーもしくは
相応のペナルティを課せられるのが一般的である。
RPGの場合、効率性が低いのならそれを作業量でカバーする。
効率的な行動を期待されてはいるが強制されてはいない。