2Dゲームにはイベントシーンにおけるアングルの概念がない。
例えば人を殴る場面において、ドラマや映画などは
どの位置から撮影すればもっとも効果的な演出がなされるかが
よく考えられているが、ゲーム場合はそれが出来ない。

この演出上の問題点を克服するために考えられたのがイベントシーンの3D化だ。
3D化には賛否両論あるだろうが、それは未だゲームがこの問題を
完全に克服し切れておらず発展途上にあるから、という見方もできる。

2Dでイベントシーンを演出する場合、こういったシーンは
避けるのがもっとも手っ取り早い方法ではないだろうか。
ドラマや映画が日常的に行っている演出の手法を取り入れることは
前述の通りPS時代になって初めて可能になったことだ。

だからこういったストーリーに憧れて自作ゲームで同様のものを
取り入れようとしても内容によっては演出上の問題が浮上する可能性が高い。

以前、FF10をあえてFC並みの演出で再現するという面白い試みを
見かけたが、これは実際にFF10のストーリーの演出はFC並みで十分と
いうことではなくゲームにドラマ的なストーリーを取り入れる
こと自体に対する反発が根底にあったように思う。
昼下がりという言葉にはのどかなイメージが付きまとっており
緊縛した状況を演出するには不向きな時間帯である、
あるいは時間帯は仕方ないにしても他の言葉に言い換えた方が
効果的である、という主張を某所で耳にした。

こののどかなイメージは昼下がりという時間帯によるものなのか
言葉によるものなのかは謎だがおそらく両方なのだろう。

昼下がりという言葉自体に「平和で間延びした状態を表すさま」
などという意味はもちろんない。
よって個人的にはとしてはこの主張そのものを鵜呑みにする
気にはなれないが、私自身もそういったイメージを
(漠然としたものだが)持っていることは確かだ。

こういった漠然とした結びつきは子供の時に聴いて慣れ親しんだ
童話や歌が影響しているのかもしれない。
加えて昼下がりが昼寝に適した時間帯であることも見逃せない点だ。

この言葉に限らず、言葉自体の意味とは無関係なイメージが
付き纏っているという例は少なからずありそうだ。
効果的な演出という観点から見ると無視できない要素であると思うので
細かいことを気にする方は考えてみてはどうだろうか。
ゲーム内の恋愛要素はなにかと取り沙汰されて議論になることが多い。

だが恋愛要素は漫画やドラマ、映画にも非常に高い確率で含まれている。
これらで扱われている恋愛(あるいはそれを匂わせる)描写は
物語のメインテーマになることよりも副次的なものであることが多い。

マニア向けの本格的な代物ならともかく、大衆向けのコンテンツの場合は
一貫してひとつのテーマに関する話題が続くとさすがに疲れてしまう。
そんなときに多くの人々が共通して理解できるネタとして恋愛は要素として最適だ。

しかしながら主人公とプレイヤーとの距離が近いゲームにおいて
他のメディアと同様の感覚で恋愛要素を扱うのは危険でもある。
確かに多くのゲームの主人公はプレイヤーの意思とは無関係に
喋るため一般的には主人公≠プレイヤーと言われているが
それは従来の形から相対比較した結果そうなるだけであって
他のメディアと比較すれば距離の差は明らかだ。

そのうえで主人公が主体になった恋愛描写の問題が表面化する。
主人公がプレイヤーの意思に反して恋愛することは
プレイヤーに対して恋愛(しかも相手が決まっている)を強いている
といっても差し支えない。
恋愛がメインならそれもいいかも知れないが前述の通り多くの場合は
副次的要素に過ぎない。
RPGにはよくある森だがあまりいい印象を持たれていないように思う。
実際、迷うのだがやたら広い森なだけだったりマップ同士が
あり得ない繋がり方をしていたりループしてるだけだったりと
どちらかというと鬱陶しい印象が強いのではないだろうか。

それでも頻出であるということは私の考えに反して実は
人気が高いのか、それとも何か別の理由があるのか。

現実の森では直進しているはずなのに見覚えのある風景が
目に入ったり、いつの間にかもといた場所に戻ったりしたら
恐怖を覚えてもおかしくはない。
しかしゲームの場合は場所移動の先をそう設定したと
解釈すればそれで終わりなわけで迷うことに対する恐怖心が湧かない。

簡単に後戻りが出来るケースが多いのも問題か。
これに関してはスタート地点を森の中心部にする、という方法がある。
森を無事に抜けない限り補給地点がない、という状態なら
恐怖感も少しは違ってくる。
製作開始当初と、開始から1年経過したあととでは
作者本人の技術やノウハウはかなり違う。

そうなると制作初期の段階で手を付けた部分は
後になって見返すと効率が悪かったり洗練されていなかったりして
どうしても修正を加えたりいっそのこと最初から書き直したくなる。

だが「たとえ内容がぐちゃぐちゃでも正常に
動作している部分には手を付けるべきではない」という考え方がある。
内容や書き方はどうあれ見た目には普通に動作しているのだから
余計なことをして思わぬ不具合を出したり、時間を浪費したり
する要因になるからだ。

特に後者は深刻で制作期間が伸びることでさらに作者の技量が
上がって何度も書き直し、という事態になりかねない。
妥協はしない、というのは立派な心がけだが完成を目指すのなら
労力と効果の判定による取捨選択も必要だ。

書き直すことで処理の負担が軽減する、などの場合は悩みどころ
だがその場合も多くはやり直さない方がいいように思う。
体感で明らかに分かるほどの違いなら話は別だが。
実際にゲームをプレーする前に少しくらいは何らかの形で
ゲームに関する情報を入手するものだけど、ゲームの面白さを
最大限に引き出すためにはどの程度の事前情報が望ましいのだろうか。

ゲーム内容に関する情報を全く仕入れずにいきなり始めるのも一つの手だ。
例えば説明書には大まかなストーリーやプレイヤーキャラクターを
初めとした主要登場人物が記載されているのが一般的だが
これをあえて読まずに始めるというやり方もある。

この方法だと最終的に誰が仲間になるのかが分からないので
展開がほどよい具合に不透明になる。

しかしある程度の情報を仕入れておくことで断片的な情報をもとに
印象を想像する楽しさがあったり、それを実際にプレーしてから
比較する楽しみもあったりする。

その辺りはゲーム雑誌なんかが、さじ加減をよく心得ていて
適度に期待させてかつネタバレを最小限に抑える程度の
情報を公開してくれる。

自サイトで配布しているゲームの情報をどの程度まで公開するのか
というのは案外適当に決めてしまいがちだが結構重要なポイントではないだろうか。
近年のゲームはグラフィック偏重主義であると声高に
主張する人は多いようだ。

私自身がFCのドラクエからRPGを始めたのでそれ以前のゲームに
ついては分からないが当時のゲームと今のゲームを比較すると
グラフィック、サウンド面の進化は言うまでもないが
ゲーム性やストーリーなどの本質部分に関して即断するのは難しい。

仮に本質部分が当時と今とで変わっていないとしてグラフィックが
大きく進化したために結果的にグラフィック偏重というカタチに
なったのだとしたら、それは懸念すべき問題ではないだろう。

そうなると本質部分の質がどう変わっているかが焦点となる。
前述したがこれに関する比較は難しい。
昔のゲームほどワクワクしない、などの意見はよく聞くが
これに対しては単なる思い出補正であるといった意見や
自分自身が成長したり経験を積んだりして見識が広がったため
相対的に陳腐に映るようになった、という意見が反論として
よく挙げられている。

またグラフィックのみに着目してFC時代の想像力を刺激する
グラフィックが好きだとか制約下での表現が美しいだとか
SFC時代のドットアクションが一番だとかという意見もよく聞く。
個人的にこれらの意見には同意できる部分もあるのだが
これは好みや方向性の問題であり大局的な主張にはなり得ない。

権威について

2006年5月13日 コラム
時代劇や刑事モノのドラマなんかで主人公が権威の象徴を示して場の主導権を握る、
という場面をよく見かける。

これは主人公の行動なのだから言うまでもなく大半が好意的に描かれたものだ。
長年に渡って用いられていることを考えるとそれなりに効果のある手法なのだろう。

主人公とプレイヤーとの距離がより近いゲームならば
ドラマ以上の効果が見込めると思うのだが、意外に前例は少ない。

確かに権威を有する人物というのはゲームの主人公としては
いささか不向きではある。権威を以ってして勝手に場を
鎮められてはプレイヤーの腕の見せ所がない。

加えて親近感のわきにくさも挙げられる。
年齢や性格も含めてプレイヤーに可能な限り近づける、というのが
ゲームの場合は一般的のようだ。

しかし新鮮さというメリットのそれなりに見込めるし
展開の差別化の容易にできるので面白そうだ。
元は戦いの際に臨機応変に兵の進退を決めることだそうだ。

駆け引きは本来ゲーム性の要ともいえる存在だが
語源に従って解釈した場合RPGは駆けの部分ばかりで引きが少ない。
「引き際が肝心」という言葉があるが肝心であるはずの
引き際は普通に進めていてはそうそう訪れない。
この辺りが「RPGはゲーム性が希薄である」と言われるゆえんなのかも知れない。

これは以前に書いたことと重複するが戦闘における戦略的選択の
ひとつである「逃走」に対して必要以上にネガティブな
イメージがつきまとっているきらいがある。

これに関してはRPGは物語部分が少年漫画的な熱さや当たって砕けろ
をよしとする価値観に後押しされているためという解釈も出来る。
そうなると相手から逃げ切ったあとに残るのは助かった安堵感ではなく
勝てなかった屈辱感だ。
サイトでコンテンツを更新した際によく見られる
「new」のマークだが近頃ゲーム中でも似たような
マークをよく見掛ける。

意味はサイトにおけるそれとほぼ同じで、
特に図鑑のような見て楽しむタイプのデータベースに
このマークが用いられているようだ。

収集要素の強いゲームそのものは昔からあったが
確かにこのようなマークが付いていると新要素が
見やすいだけでなく収集や閲覧がほんの少し楽しくなる。

ツクールでの実装を少し考えてみたが
労力に対して充分な効果を得られそうにないので断念。

そのうち工事中マークも出てくるかも。
隠し通路や隠し階段、落とし穴といったからくり屋敷にありがちな仕掛けが
ものすごく好きでよくゲーム中に盛り込むのだが
謎解きの中心に隠し通路を添えるというのは密室のネタに
隠し通路を用いるのと同じくらい邪道だ。

密室で隠し通路を用いることによる問題のひとつは
答えを聞いたときの落胆によるものだが(それ以前に一種のルール違反らしいが)
謎解きでも似たようなことが言えると思う。
自分が詰まって何時間も考えたところの答えが隠し通路です、
じゃ釈然としないものが残るだろう。

それでも隠し通路を盛り込みたくて仕方がない場合は
雰囲気作りのための小道具に留める、というやり方がある。
ストーリーに繋がりのあるタイプの続編は前作の支持者を
とりこみやすいという利点があるためか頻繁に制作される
傾向にあるようだ。

しかし失敗例も少なくないようで前作の支持者から逆に
嫌われているケースも見られる。

前作の完成の時点で既に続編を想定していたのでなければ前作の
物語は伏線の回収等などを含めて綺麗に完結しているはずだ。
そうやって丸く収まった話に新たに要素を加えるのは容易ではない。

結果、前作との整合性がとれずに矛盾が生じたり前作の主人公が
何故か不遇な目に遭っていたり性格が変わっていたりする。

対策として最初から続編を想定に入れて話を作る、というものが挙げられる。
しかしこれはこれで問題がある。続編を想定に入れて話を作ることと
ひとつの物語としてきちんと完結させることの両立が難しいという点だ。

物語は矛盾点がなければいい、というものではないようで
話を終えた後にも未使用あるいは未解決な要素が残っていると
やはり多少の違和感を覚える。

簡単そうで難しい手法なので自信が無ければ
手を出さない方が無難だと思う。

被りについて

2006年4月30日 コラム
登場人物の性格設定で何を気を付けようかと考えたときに
これが一番最初に思い浮かぶ。

見た目で大きく差別化できる市販ゲームでもプレー中に
異なる登場人物を混同してしまったり存在を忘れてしまったりする。
服の色や髪型などの外見が似ていたりするとそれはさらに顕著になる。

自分が制作側に回るとどうしても自分の好きな性格が作中に
大きく反映されてしまう。私の場合は腹黒い性格が好きなので
そういった人物だらけになったり。

暗黙の前提

2006年4月28日 コラム
ショートショートや叙述モノで頻繁に使われる手法に
暗黙の前提を最後に覆すことでオチとする、というものがある。

例えばある部屋で雑談する者達がいたとして、序盤は
彼らの会話で物語が進行していくのだが、最後になって
会話をしていた者達が地球人ではなくて場所もどこか別の惑星だった、
という結末が待っている…… といった類のものだ。

ここで言う暗黙の前提とは、会話をしているのは地球人で
場所は地球上のどこかである、というもの。
作中においてそのような記述はどこにもないが普通に読めば
ほぼ確実に無意識のうちにそのように解釈されるものだ。

一見するとありふれた手法のようだが案外、用いられている
ところをみると効果の高いやり方なのだろう。
読み手は物語に接する際に非常に多くの暗黙の前提をもとに
しているため、引っかかりやすいのかも知れない。
本来セーブデータのロードはタイトル画面の直後に行うものだが
中にはゲーム中に別データをロードする機能を備えたゲームもある。

別データとは言ってもここでロードの対象になるのは
プレー中のデータであることが多い。
つまりソフトリセットと同様の効果があるわけだ。
タイトル画面を介さない分だけこちらの方が早い。

多くの場合この機能は確率依存の要素において
プレイヤーの望む結果が出るまで繰り返すために使用される。
つまり作者はこういった使われ方がなされることを想定して
というより期待してこの機能を実装していると言える。

こういうプレーの仕方はある意味、邪道であり作者自らが
それを認めて良いのかという疑問もあるかも知れない。
しかし、やり直すことによっていい結果が出るのだが
やり直すのに時間がかかるケースはプレイヤーに対して
強いジレンマを与える可能性がある。

それならば確率による結果の変動幅を縮めたり、あるいは
繰り返しによる結果の変化を禁止したりして諦めさせるか
ロード機能を付けてプレイヤーのポリシーに判断を委ねるか
などの対策を取った方がいいのではないかと思う。
以前、斜め移動を作ろうとした際に困ったのが見た目の問題だ。
ツクールの通常の仕様で斜め移動を構築しようとすると
明らかに壁の上を通過するような歩き方になってしまう。

例えば右上に移動する場合、右→上のルートか上→右のルートの
どちらかが通行可能なら右上への移動も通行可能となるのだが
この仕様が原因で見た目の問題が発生する。

そこで右→上のルートと上→右のルートが共に通行可能の時だけ
通行可能になるように設定してみた。
すると見た目の問題は解消されたのだがこれだと通行可能な
ケースが著しく制限されてしまう。

この問題は通行不可能な時に右か上への移動を再試行することで
ある程度は解決できる。斜め移動の入力をした場合に斜め移動が
不可能な場合でも右か上に移動可能ならそちらへ移動するので
プレイヤーの意思に対して無反応な状態を回避できる。
早い段階で確立されたフィールドとダンジョンの概念は
世界の広大さを手間を掛けず、またプレイヤーに負担を与えずに
実現するためのものであったとも考えられる。

フィールドにおける移動は実際の時間では大したことはないが
ゲーム内では相当の時間がかかっているであろうことが推測できる。
昼夜の概念のあるゲームならそれで分かるしフィールド上の
街の大きさから通常マップとの縮尺の違いからも分かる。

しかし、これだけで広大な世界を演出しきれるかというと難しい部分もあると思う。
実際の時間はほとんど経過していないからだ。

そこで目的地を遮断するダンジョンが登場する。
ダンジョンはフィールドとは逆でゲーム内の時間ではそれほど
ではないが実際の移動には時間のかかる場所だ。
これは距離で考えても同様のことが言える。

フィールド上では大した距離ではない部分を、
ダンジョンとして時間をかけて移動することでプレイヤーは
フィールド、つまり世界の広大さを感覚的に理解することが出来る。

理想的な批評

2006年4月19日 コラム
主に市販やフリーのゲームレビューサイトを見ていて思ったのだが
良かった点と悪かった点の双方が織り込まれている批評が
もっとも理想的な批評である、という意見の人は少なくないようだ。
というのもレビュー時の心構え、みたいな項目を設けて
「必ず良かった点と悪かった点を書くようにしています」
といった類の宣言をしているケースが多く見られたからだ。

確かに一通り褒めたり、あるいはコンセプトに賛同した上で最後に、
気になった点を挙げる、というカタチで展開する常道的な批評は
客観的視点から冷静に批評できているということで訪問者からの
賛同を得やすいしフリーの場合は作者自身のためになることも多いだろう。

しかし批評が存外に批判的あるいはその逆に偏ってしまった時に、
それは理想的な批評ではないからという理由で無理に
方向を中立に修正しようとするのはやり過ぎであるように思う。

あるいは批判的過ぎては作者に悪いからという配慮を込めて
なされるものなのかも知れないが、そういった批評は
書き方次第では訪問者がもっとも知りたがっているであろう
受け手の本音を時に覆い隠してしまう。

もちろん、普通に批評していればほとんどの作品に対して
良かった点と悪かった点の双方が自然と浮かぶものであり
だからこそ、こういった批評が一般的に理想とされているのだろうから
それ自体に難癖をつけるつもりはないが。

天候と感情

2006年4月18日 コラム
わざわざ説明しなくても直感的に分かることだが
ある場面においてもっとも効果的な天候、というものが存在する。

雷は怒りや恐怖、雨は悲しみや憂鬱、といった具合だ。
恐怖を感じるような場面における天候を雷に設定することで
受け手に与える恐怖がより強烈なものになる。
これは天候に限らず夕焼けや朝焼けなども同様だろう。

既存を作品を見てみると雪は恋愛描写と相性がいいようだ。
恋愛に関連する行事が冬に多いせいだろうか。

敵の復活

2006年4月16日 コラム
シンボルエンカウントにおける重要な焦点のひとつに
倒した敵をどのタイミングで復活させるか、というものがある。

ツクールにおいて実装する場合もっとも簡単なやり方は
マップを移動した時点で復活する、というもの。
具体的には、イベントの一時消去のコマンドを用いればいい。

この手法があだとなるのは複雑な構造のダンジョンなどでプレイヤーが迷ったときだ。
同じ場所を何度も往復することになるのでいちいち敵に復活されては大変だ。

そこでその手のダンジョンを多く含むゲームの場合、
敵の復活条件はマップ移動ではなく別にあることが多い。
例えば一定回数以上のマップ移動や一定時間経過、
一度ダンジョンの外に出ると復活、などがある。

だが、これらのケースだとレベル上げをしたい時に
思うように敵が復活してくれないと言う弊害ある。
そのため、ある特定の敵シンボルのみ一度のマップ移動で
復活する、などの処置がとられている。

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