9月4日の日記

2006年9月4日 コラム
ある話題について話し合うネット上のコニュニティでその話題とは
別の話題で盛り上がると、別の話題についてよく知らない人は
疎外感を覚えてしまいそれが原因で荒れるという光景をたまに見かける。

ゲーム内にある特定の人にしか分からないネタを仕込むことの
最大のリスクはこの疎外感ではないだろうか。
内輪ネタが嫌われるのはその顕著な例のひとつだ。

かといって、この疎外感を最小限に留めようとしてメジャーなネタを用いると、
今度は、知識や価値観を共有することで作者とプレイヤーとの間の
距離を縮めるという、ネタを仕込むことによる効果が薄くなってしまう。

となるとネタを知らない人には、そもそもネタが使われた
ということに気付かせない配慮が必要になる。
むしろ、普通にネタを仕込むだけなら知らない人は気付かなくても
おかしくはないが、ここで作者がネタに気付かせようとして変にアピールすることで
知らない人にも、感付かれてしまうという結果になりかねない。

結果と過程

2006年9月15日 コラム
ゲームシステムの外見が他のゲームと似ていると、その楽しみ方も
同様に似通っているように思えてしまうが案外、そうでもない場合も多い。
ここでいうシステムの外見とはRPGの戦闘における各パラメータの
扱い方などの基本的なルールのことだ。

ゲームには結果に重点が置かれたものと過程に重点が置かれたものとがある。
これらはゲームの楽しみ方に直結する問題だがシステムの外見だけではこれらを判断できない。

結果重視の場合、過程とは単にゲームクリアという結果を出すためのものに過ぎない。
つまり、クリアするために最適な行動をとることがそのまま
ゲームを楽しむことにつながる。
だとするとこれらのゲームにおいて作者が心掛けるべきは
絶妙なゲームバランスである。

過程重視の場合の結果はどちらかというとオマケのような存在で
クリアに至る過程をどう楽しむかはプレイヤーに委ねられている。
だから単にクリアするために最適な行動を取るだけでは
物足りなさが残ってしまう。
これらのゲームで絶妙なゲームバランスを追求すると
逆に遊び方の幅を狭める結果になってしまう可能性がある。
むしろ少しくらい簡単にした方が支持が得やすい。

浪費について

2006年9月26日 コラム
終盤になるとせっかく貯めたお金の使い道がなくなり
大量に余ってしまうRPGが多い、というのはよく指摘される話だ。

しかしながら実際に市販されているゲームの傾向を見てみると
この問題はほとんど克服できているようだ。
多くの場合、店舗の利用などの序盤や中盤における一般的なお金の使い道とは
異なる別の使い道を用意することで解決している。

こういった使い道は、大金をモンスターに支払うことでアイテムを入手できる
アイテムの合成や精製に莫大な費用が必要、などの例が挙げられる。
また、少し方向性は異なるがドラクエのカジノなんかも
これに近いものがある。

これらは単にゲームクリアだけなら利用せずとも支障はないが
最近のゲームはラスボスの先に隠しボスが存在することが多く、
この隠しボスを倒す過程でこれらのシステムの利用が求められる場合が多い。
逆に言うと隠しボス打倒の手段としてこれらのシステムを位置づけることで
お金が大量に余る現象を防いでいるとも言える。

隠しボスの導入を検討している方は、こういったお金を浪費できる
システムの導入も同時に検討してみてはいかがだろうか。

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