近頃のゲームはアイテムや技などの説明文を電光掲示板のように
横にスクロールさせていることが少なくないようだ。
本来なら枠内に入らない長い文章を表示させるためのもので
対象にカーソルを合わせてしばらくすると説明文が横に流れ出す。
作り手としてはスクロールさせることで説明文の長さの制約から
解放されるという利点がある。制約から解放されるというのは
この場合、簡潔に表記する必要性が薄れるということでもあるから
文章自体が冗長になりやすい。
加えて内容を読み切るにはスクロールし終わるのを
待たなければならないから時間がかかる。
よって流れる説明文はまともに読まれないことを前提とするべきだろう。
それならば多少、表現を削ってでも枠内に収めた方がいいと思うのだが。
横にスクロールさせていることが少なくないようだ。
本来なら枠内に入らない長い文章を表示させるためのもので
対象にカーソルを合わせてしばらくすると説明文が横に流れ出す。
作り手としてはスクロールさせることで説明文の長さの制約から
解放されるという利点がある。制約から解放されるというのは
この場合、簡潔に表記する必要性が薄れるということでもあるから
文章自体が冗長になりやすい。
加えて内容を読み切るにはスクロールし終わるのを
待たなければならないから時間がかかる。
よって流れる説明文はまともに読まれないことを前提とするべきだろう。
それならば多少、表現を削ってでも枠内に収めた方がいいと思うのだが。
コメント
作り手にとっては後々修正しやすいので便利です。
個人的にはプレイする際、
止まってくれてる方が嬉しいですけど・・・。
スクロールを使っているからといって
それを必ずしも使わなければいけないという訳ではないので、
無理に説明を長くしようとしなければ読み手への負担も
それほど気にすることでもないと思います。
大抵は一度や二度読めば覚えられるものだと思うので
長文を嫌って中身の薄い説明になるくらいなら、
伝えたいことを余すことなく書くくらいのほうが
個人レベルの作品としては理想だと思います。
もちろん、ただ単に長いだけだと嫌われるだけですけど。
また、長文になる際はむしろ、読み終える時間よりも、
人によってはスクロールが早すぎて読み切れないといった
不具合を作り手は考慮すべきだと思います。
自動の文章送りもそうです。
こういうことはよくあります。
難易度が高いRPGなどは推奨よりもレベルを高くすることで
逃げ道があるのに対して、
前述のように生まれつきの体質や障害、
及びその環境や状況で左右されるプレイ障害により
プレイが不可能になるケースもありえます。
こういったことまでは考慮されていないことが多く、
たくさんの人に遊んでもらいたいという願いとは
一部矛盾が生じていることを
作り手はもっと意識する必要があると思います。
出来ない人はやらなくて良いという考えは
人として無責任です。
そもそも読まれないことだと思っています。
読み手は自発的に自身にとって負担になるような行為を避けますし
ジュニーさんのご指摘の通り、必ず読まなければならない
文章でもありません。
伝えたいことを余すことなく書くのはもちろん重要ですが
読まれなければ結局なにも伝わらないですし
文章の中身の質を落とさずに文字数を削るのが理想でしょう。
とは言え、その実現が容易ではないことも事実です。
個人的には説明文の枠を拡張して縦に2行分の表示枠を設ける、
などの解決案が望ましい一例であると考えています。
これならジュニーさんの懸念するスクロールのはやさに
対する問題も解決できます。
また、これは本題から逸れてしまうのですが
少数派に位置すると考えられる層を切り捨てるのも
戦略のひとつとしてあり得るのではないでしょうか。
仮にジュニーさんの指摘する少数派を切り捨てても
彼らは数が少ないですから、たくさんの人に遊んでもらいたい
という願いとは両立可能でしょう。
もしあらゆるプレイヤーにとって快適にと考えたら
莫大な時間と労力が掛かり、結局未完成のまま終わることも
十分に考えられます。
完成を目的とする作り手は多いでしょうし、完成しなければ
あらゆるプレイヤーが快適に、という理念も無意味になってしまいます。
少数派をどう扱うかは、彼らの希望を取り入れることの
損得を考えた上で個々の事例に応じて判断すべき
問題であると考えます。
ゲームが娯楽産業であることを考えると、ユニバーサルデザインを
謳うことはセールスポイントではありますが
義務や責任とまでは言えないのではないでしょうか。
作り手の義務とまでは思いませんが、
使用するシステムによっては
プレイ障害が生じる可能性があることは
全ての作り手が知っておく必要があると思います。
また、出来ないならまだしも、
出来るのにその配慮を放棄することは
決して喜ばしい状況とは思えません。
知らないのもまた、
このようなジャンルで活動するにあたっての
責任を負い切れていないように思います。
ただこの現状、こういう事にもどこかで線引きしなければ
きりがないのは言うまでもなく、
こういったバランス取りは時として難しいとは思います。
>読まれなければ・・・
読んで欲しいところを軽々しくスルーされるのは
作り手にとって良く思えないのはそうですが、
それはまだいいのです。
問題としたいのはプレイヤーが読みたい、遊びたいのに
それがシステムのクセなどでその人には出来ない、
といった不具合のほうです。
>少数派を切り捨てる・・・
そういう戦略は必要でしょう。
しかし、そういった少数派の人は、
出来ないと最初から分かっているなら
誰もしようとは思いません。
それが、注意書きなどになく、出来るかもしれないと思い
試みてみれば、中盤以降になってようやく
クリアまでもっていくことが出来ないと
分かった時の精神的ストレスは、
読むのがめんどくさいと言うものとは
比べ物にもならないと思います。
こういったことを作者は知らなかったからと言って
済ませられるものでしょうか?
難易度の高いARPGと、うたい文句にすれば
アクション苦手な人はしないで済みます。
可能性としてよくあり得そうなのが、
RPGでのミニゲームがネックになることが考えられます。
これはプレイする前から知るすべが殆どない事から
作者にはこういうことに責任が発生すると考えます。
RPGでいう長編などを作る際には
特に注意する必要があると思います。
もちろん、快適に遊べる作品づくりが理想ですが、
何をもってして快適であるかは人それぞれですし、
中にはどの作品を遊ぼうとも快適でないと考える人も
いるかもしれません。
この事もかねて全ての人に快適だと思われるのは
恐らく無理と言っても過言ではないでしょう。
こういったことからもこの課題は
実現すべきとまでは思いません。
しかし、出来る限りそうある為への姿勢は
あるべきだと考えるわけです。
長文、失礼しました。
注意書きには時間的コストも掛かりませんし、作者に対する心証を
悪くする受け手が出る可能性を減らすことができます。
私の場合は「地雷回避のために」という項目を
(ネタ半分ですが)設けています。
私はこういった配慮を作者の義務や責任によるものとしてではなく
配慮の結果として支持を獲得し、自身に返ってくるがゆえに
行うものと考えます。
もともとモチベーションの維持が大きな課題として横たわっている
ジャンルですし必要以上に重く考えることは時として
完成を遠のかせる要因にもなりますからね。