主に市販やフリーのゲームレビューサイトを見ていて思ったのだが
良かった点と悪かった点の双方が織り込まれている批評が
もっとも理想的な批評である、という意見の人は少なくないようだ。
というのもレビュー時の心構え、みたいな項目を設けて
「必ず良かった点と悪かった点を書くようにしています」
といった類の宣言をしているケースが多く見られたからだ。
確かに一通り褒めたり、あるいはコンセプトに賛同した上で最後に、
気になった点を挙げる、というカタチで展開する常道的な批評は
客観的視点から冷静に批評できているということで訪問者からの
賛同を得やすいしフリーの場合は作者自身のためになることも多いだろう。
しかし批評が存外に批判的あるいはその逆に偏ってしまった時に、
それは理想的な批評ではないからという理由で無理に
方向を中立に修正しようとするのはやり過ぎであるように思う。
あるいは批判的過ぎては作者に悪いからという配慮を込めて
なされるものなのかも知れないが、そういった批評は
書き方次第では訪問者がもっとも知りたがっているであろう
受け手の本音を時に覆い隠してしまう。
もちろん、普通に批評していればほとんどの作品に対して
良かった点と悪かった点の双方が自然と浮かぶものであり
だからこそ、こういった批評が一般的に理想とされているのだろうから
それ自体に難癖をつけるつもりはないが。
良かった点と悪かった点の双方が織り込まれている批評が
もっとも理想的な批評である、という意見の人は少なくないようだ。
というのもレビュー時の心構え、みたいな項目を設けて
「必ず良かった点と悪かった点を書くようにしています」
といった類の宣言をしているケースが多く見られたからだ。
確かに一通り褒めたり、あるいはコンセプトに賛同した上で最後に、
気になった点を挙げる、というカタチで展開する常道的な批評は
客観的視点から冷静に批評できているということで訪問者からの
賛同を得やすいしフリーの場合は作者自身のためになることも多いだろう。
しかし批評が存外に批判的あるいはその逆に偏ってしまった時に、
それは理想的な批評ではないからという理由で無理に
方向を中立に修正しようとするのはやり過ぎであるように思う。
あるいは批判的過ぎては作者に悪いからという配慮を込めて
なされるものなのかも知れないが、そういった批評は
書き方次第では訪問者がもっとも知りたがっているであろう
受け手の本音を時に覆い隠してしまう。
もちろん、普通に批評していればほとんどの作品に対して
良かった点と悪かった点の双方が自然と浮かぶものであり
だからこそ、こういった批評が一般的に理想とされているのだろうから
それ自体に難癖をつけるつもりはないが。
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