公平性の演出

2006年3月10日 コラム
ゲームには敵と味方がシステム的に同じ条件のもとで戦うことによって
生まれるある種の「燃え」のような存在があるのでは、
といった趣旨の仮説をある場所で耳にした。

とは言え、対人戦を含むゲームならともかくRPGの場合は
敵と味方との間に完全な公平性を維持することは不可能に近い。
そこで一部の要素に限定したカタチで公平性を保とうとする。

例えば、タクティクスオウガの場合は個々の能力こそ異なるが
戦闘はほとんど10対10で行われる(敵の数は 8 や 9 の場合もあるが)。
もちろんSFCなため、容量の都合あるいは技術的な要因も多分に
絡んではいるだろうが人数の公平性を保ったことが魅力の一因に
なったと私は考えている。

オーソドックスなRPGの場合、公平性の維持はさらに困難になる。
攻撃回数においても味方の方が手数が多いことがほとんどだし
ダメージやパラメータの桁を揃えることすら難しい。
同じ名称の魔法でもシステム上の都合で敵が使うものと味方が使うものとで
データベース上では分かれている場合も少なくない。
味方の適用される概念を敵に対しても適用しようとすると
様々な弊害や技術的な壁にぶつかる。

そこでRPGの場合は無理に公平性を維持するよりも見かけ上は
公平性を保っているような演出をしたり、公平性を保っている
ことを示すアピールに重点が置かれることが多いようだ。
インタフェースに着目した場合、敵のものと味方のものを
あえて画一的に取り扱うことで公平性の演出ができる。

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