創作物の登場人物なんて所詮は作者の掌で踊っているに過ぎない。
物語のとどのつまりは作者の望む結末であり見せたい結末だ。
そのために登場人物は作者に台詞を喋らされている。
が、たとえそれが事実であってもそんな無粋なことを考えながら
物語に接しても面白くもなんともないし得るものも得られない。
読み手からすれば作者の存在を否定、あるいは意図的に忘却して
しまうのが合理的だ。
しかしそういった意図的な忘却がかき消されてしまう瞬間がある。
誤字脱字などがそれだ。誤字脱字が原因で文章の意味が
分からなくなり、解読不能になることは滅多にない。
問題は誤字脱字の存在が、物語が単なる作り物に過ぎないことを
強制的に再認識させられることではないだろうか。
だとしたら作者の存在を意識することもそういった事態を
引き起こす要因になりうると考えられる。
ゲーム中によくある作者の部屋なんかはゲームのコンセプトに関する説明や
作者の想定する楽しみ方の提案を直接その場で行うことができる、
というメリットもあるが上記のような弊害も少なからず
存在する可能性がある。
物語のとどのつまりは作者の望む結末であり見せたい結末だ。
そのために登場人物は作者に台詞を喋らされている。
が、たとえそれが事実であってもそんな無粋なことを考えながら
物語に接しても面白くもなんともないし得るものも得られない。
読み手からすれば作者の存在を否定、あるいは意図的に忘却して
しまうのが合理的だ。
しかしそういった意図的な忘却がかき消されてしまう瞬間がある。
誤字脱字などがそれだ。誤字脱字が原因で文章の意味が
分からなくなり、解読不能になることは滅多にない。
問題は誤字脱字の存在が、物語が単なる作り物に過ぎないことを
強制的に再認識させられることではないだろうか。
だとしたら作者の存在を意識することもそういった事態を
引き起こす要因になりうると考えられる。
ゲーム中によくある作者の部屋なんかはゲームのコンセプトに関する説明や
作者の想定する楽しみ方の提案を直接その場で行うことができる、
というメリットもあるが上記のような弊害も少なからず
存在する可能性がある。
コメント