作者の存在

2006年3月8日 コラム
創作物の登場人物なんて所詮は作者の掌で踊っているに過ぎない。
物語のとどのつまりは作者の望む結末であり見せたい結末だ。
そのために登場人物は作者に台詞を喋らされている。

が、たとえそれが事実であってもそんな無粋なことを考えながら
物語に接しても面白くもなんともないし得るものも得られない。
読み手からすれば作者の存在を否定、あるいは意図的に忘却して
しまうのが合理的だ。

しかしそういった意図的な忘却がかき消されてしまう瞬間がある。
誤字脱字などがそれだ。誤字脱字が原因で文章の意味が
分からなくなり、解読不能になることは滅多にない。
問題は誤字脱字の存在が、物語が単なる作り物に過ぎないことを
強制的に再認識させられることではないだろうか。

だとしたら作者の存在を意識することもそういった事態を
引き起こす要因になりうると考えられる。
ゲーム中によくある作者の部屋なんかはゲームのコンセプトに関する説明や
作者の想定する楽しみ方の提案を直接その場で行うことができる、
というメリットもあるが上記のような弊害も少なからず
存在する可能性がある。

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