何事もほどほどに、とは何に対しても言えることなのかも知れないが
自作品に対する愛情もほどほどが一番。
フリーゲーム作者の場合は愛情値が低すぎると言うことはあまりないだろう。
問題は高すぎる場合。思いつくだけで二つの弊害がある。
まず、プレイヤーが目に入らなくなる可能性について。
どうも愛情値が高くなるにつれてゲームを作者視点ばかりで
見るようになってプレイヤーの視点が欠けがちになるように思う。
基本的に愛情値とゲームの完成度はある程度の正の相関が
あると思うのだが、高すぎると局所的な完成度は素晴らしいのだが
肝心な部分がダメでプレイヤーに多大なストレスを与える、
ということになりかねない。
もう一つの弊害は批判的な感想や叩きに対する耐性が
極端に低下する可能性がある、という点。
そうなると本来、楽しむためにやっているはずの趣味で
大きなストレスを作者自身が被ることになる。
そこまではいいとして、このケースだと批判的な意見が発端となり
周囲を巻き込んだ大きなトラブルに発展する場合がある。
事実、これが原因のひとつと思われるトラブルの事例も少なくない。
自作品に対する愛情もほどほどが一番。
フリーゲーム作者の場合は愛情値が低すぎると言うことはあまりないだろう。
問題は高すぎる場合。思いつくだけで二つの弊害がある。
まず、プレイヤーが目に入らなくなる可能性について。
どうも愛情値が高くなるにつれてゲームを作者視点ばかりで
見るようになってプレイヤーの視点が欠けがちになるように思う。
基本的に愛情値とゲームの完成度はある程度の正の相関が
あると思うのだが、高すぎると局所的な完成度は素晴らしいのだが
肝心な部分がダメでプレイヤーに多大なストレスを与える、
ということになりかねない。
もう一つの弊害は批判的な感想や叩きに対する耐性が
極端に低下する可能性がある、という点。
そうなると本来、楽しむためにやっているはずの趣味で
大きなストレスを作者自身が被ることになる。
そこまではいいとして、このケースだと批判的な意見が発端となり
周囲を巻き込んだ大きなトラブルに発展する場合がある。
事実、これが原因のひとつと思われるトラブルの事例も少なくない。
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